20代ラスト6ヶ月を生き抜くブログ

あなたは列車を待っている

これだ、と思ったんだけど (13/183)

自己肯定感を損なわずに楽しめる趣味と自分のあり方について、瞬間、これだ!というものが昨夕煌めいたんだけど、数刻のうちにそれは失われてしまった。もうどうすればいいのか。

ありのままの自分を肯定することとありのままの自分をさらけ出すのはたぶん違うことなんだろう。他人の目によりよく映るように自分を加工して強がって生きていかなければ生きる意味が無い。であるならば、Twitterに愚痴っぽいことは書くべきではない。

けれどわたしは未だに、わたしの愚痴や懊悩が、なんらかの価値があるということを諦めきれないのである。こうしていい歳にもなってつらい気分をかきだしていることが、どこかの誰かの居場所になることを諦めきれないからだ。

なぜなら自分がそうだから。本当に落ちている時は、自分より落ちている人間をインターネットで探した。よりだめな人間を見ると、安心した。

そういうブログにできないだろうか。

プレ認知、あと上手くなりたいはつらいという話(12/183)

真面目系クズについて扱った自己啓発系ブログを読んだ。自己肯定感が低くプライドが高いので失敗を恐れ、真面目を装い、けれど挑戦をしたがらない、隠したがる。まさしく、それだ。

他人をリスペクトして受け入れる。

怖いことだが、苦手意識のある人間に対して特にそうしてみたほうがいいかもしれない。例えば、弟。血が繋がっていると言うだけで実質ただの他人だが、活き活きしていて、すごいと思う。だからわたしはそれを見て落ち込む。でもそれは決めつけで、きっと失礼なことなんだろう。弟には弟の、色んな悩みや懊悩があり、そして自分なりに努力や悩みを積み重ねた結果自分にしかできない「いま」を勝ち得ている。その今が客観的に見てすごいとかすごくないとか、いいねの数とかフォロワー数とかどうでもよくって、その生きているそのことがきっと尊いんだろう。

わたしの悩みはきっとありふれたもので、そんな現実と向き合いながら全ての人はいまこの大地に足をつけて歩いて生きているのだ。

きっとそれは大したことで、得がたいことで、尊敬に値する。

だって息をするのもこんなにめんどくさいのにね。

 

上手くなりたいはつらい。

果てがないし。それを漠然と追い求めるのは結構たいへんだよ。

 

現在否定から入る目標は意味は無い(11/183)

昨晩あれから、大きな紙に考えを延々書き出しながら考えた。思うに、目標というのがまさしく不適切なのではないか。なぜなら目標とは、私の場合、多くは現在否定から入るからである。

今が嫌だから、もっと良くしたい。その理想像を目標に掲げているのだ。現在否定である。幸福のためには自己の肯定が必要だが、この時点でその大きな要件をかいていることとなる。現在否定からの目標は、逃避に繋がる。そして大きな目標というのが、ともすれば無根拠な楽観に繋がりがちなのは知っての通りである。

 

だが一方で、目標とは在りたいかたちを定義するものなので、現在地とは異なる場所を意味するのは仕方の無いように思う。ありそうな地点、できそうな地点を目標に据える、そのためには現在地を好きにならなければ始まらない。なぜならその目標地は、現在地と地続きだからだ。

 

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(追記)

遠くへ行きたい、のだと思う。

今の自分より遠く、別の何かになりたいんだと思う。

でもそれって難しいんじゃないかな……。

 

試しに、今日からの自分を再定義してみるのもいいかもしれないが。

だって、地続きはつらいから。

現在否定も肯定もせずに、ただ一条件として見てみる。など。

 

自分議事録でも作ろうか(11/183)

議事録作るのは苦手じゃないんだし、自分の脳内の反芻を議事録にするのはどうだろうか。そうじゃないと堂々巡りになってしまうから。

 

議題: これからをどう生きるか

【現在の状況】

漠然としたつらさを抱えながら現在生きている。仕事は現在一年数ヶ月を迎え、全体の仕事内容は把握できすこし余裕が出てきた。副業はほぼ停止中であるが、最近久々に依頼がきて少しやる気を取り戻している。家庭はかなりおざなりにしており、日々の料理や片付けに多くの課題を残している。転職・引越しをしてから一年数ヶ月が経過し、生活が雑になりつつあるような印象を受ける。もうすぐ二十代を終えることもあり、このままではいけないと感じている。

しっかりした社会人になりたい。まともな人間になりたい。そう常に考えており、それがさらに自己肯定感をさいなんでいる。

現実把握に甘さがあり、突飛な目標を立てては挫折してばかりいる。大きな目標が欲しいと考えている。

ロードマップをえがく(10/183)

大きな目標ばかりをたてがちだ。そのために、いきなり大きなことに日々挑戦しようとして、挫折し、そんな自分を受け入れられなくなっていく。

ロードマップが必要だ。なにもかもすべてはなできないだろう。なにがやりたいか。

サイエンスイラストはそれにしてもすごく奥が深いし難しいな。1度がむしゃらに挑戦してみて、なにか得られるだろうか。

過大評価も過小評価もせず ありのままを受け入れる(9/183)

今日は仕事に行くつもりだったけど、朝起きたら昨日がんばったイラレのデータが消えてて、心が折れて休んだ。昼頃までだらだらネサフ(カウンセリングを調べたり、スタディプラス契約してみたり、スケブに悩みを書き出したり)。午後から一念発起して二時間ほどかけてイラレ教本を復習。その後、四時間か五時間かけて修正稿をあげた。イラレ教本復習したおかげで、消えたデータよりかはまともなものができた。二時間で学べることならはよやれって話だよな。

昨晩、発言小町に書き込んだ内容に返信がついていた。親身に厳しいコメントが多い。正直驚いた。もっとめちゃくちゃ言われるかと思った。

 

学生時代、勉強しなさすぎた。

学歴はあるけど、それはかたちだけで、中身がない。専門性と、勉強能力と、思考能力。だから行き詰まるのも仕方がなかった。

それはそれとして受け止めよう。もっとはやくに気づけばよかったけど、わたしはここまでくるまでは受け入れられなかったんだ。自分が勉強ができなかったこと。

だから、ここからだ。

 

きついのはしゃーない。学生気分でもなんとかなった(とかいうメンタリティだからだめだったんだが)去年までとは違うんだ。覚悟を決めろ。

 

半年、がむしゃらにやってみよう。自分の専門性をいちから積み上げるつもりで。それでもつまらなかったら、全部理解できた上でつまらなかったら、そのときはまた別のみちを探ろう。

プライドを捨てろ。もともと土台もガバガバじゃないか。卑屈になりたいわけじゃない。でも自分を過大評価したところでつらいだけじゃない。だから、1歩ずつ、1歩ずつ進むしかない。

 

どうせ死ぬまで勉強したいんだ。だったら、今だ。

絵も、そうだよ。わかってる、お金取れるレベルじゃない。今から学んだところでどうにもならないかもしれない。絶望的なまでの実力不足だ。でも、そうだ。サイエンスイラストは趣味でもかける。学問だって趣味でも学べる。誰かを傷つけないやり方さえ見つけられれば、自由に続けていかれる。どうせわたしが勉強できないこと、みんな知ってるさ。だから、自由に、謙虚に、学び続ければいいんだよ。止める必要は無い。

好きなものを続けるのだ。

そうして続ける、学ぶ、日々を研究所する、考える姿勢こそ、きっと未来を作るから。

だから、諦めなくてもいい。ありのまま、一歩から、今から進めばいい。大丈夫だ、もう一生分馬鹿はやったから、今更恥じることなんてないよ。

あーだめだ だめだめ(5/183)

今朝はふつうに寝坊。あーだめ。もう、だめだめ。

同居人は今日から月曜まで留守らしい。生きる望みがなくなった気分でものすごく寂しい。そのうえ夢見が悪く、今日は死にたいとばかり考えて過ごした。

本当に失敗だらけの29年で、とくにやっぱり、現職への転向はものすごく選択を誤った気がする。もういやだ。今日から自分の幸せを直視して生きるって、でもどうすればいいんだよ。今までだって一度だってできたことがないのに。

このまま鬱々と死ぬまで生きるんだろうか。ポッキリと折れることすらできず、ひたすらジワジワと歪んで、人のこころもわたしから離れていって、どんどんイヤな人になっていくんだろうか。

寂しい。それはとても、寂しい。